【2018 善光寺】宿坊

 ある日フランス人の夫が、急にお寺に泊まりたいと言い出しました。日本のことをもっと感じられる何かをしたいと。

お寺ですか…。調べてみると、確かにお寺に宿泊する宿坊というものがありました。元々は出張のお坊さんや檀家さんに提供する為のものだそうです。

現在は幅広く、外国人観光客が意外と多く体験しているようで、京都にはたくさん宿坊施設があります。サイトも充実していて、お寺とは思えない、高級旅館さながらのウェブサイトから予約できます。

たくさんの外国人観光客の中で体験するのは、日本人の私が想像するお寺の1日とはちょっと違う気がする…と思い、京都以外で探してみると、長野の宿坊も有名だと知りました。

メインとなる善光寺の周りに、小さなお寺がたくさん並び、それらのお寺が宿坊として泊まらせてくれるというシステムで、だいたいの場合が精進料理が食べられ、朝の法要、お朝時というものに参加するというコースです。部屋はテレビなしのシンプルだけどきれいな和室。門限も就寝時間もとても早いです。

 仏教に縁のない夫は、失礼をしないために、事前に仏教について何日も勉強していきました。私自身全然知らないことばかりなので質問されても答えられず、結局私も一緒に勉強する形になりました。

 さて、初めての長野県。

 善光寺のある長野市は、善光寺を中心に作られているような街でした。善光寺があまりに大きい。敷地も存在感も。

 まずは今回お世話になる宿坊のお寺へ向かいました。考えてみると、観光ではないごく日常の、生活に根ざした地域のお寺ということですから、普通に法事の真っ最中でした。

ご一家の親戚らしき御一行が、法事の後の宴会のような会食をしている中、土間でピンポンを鳴らしたのが、私達でした。喪服を着た人もうろうろしていらっしゃいました。

気まずい!軽い気持ちで来た私が軽率だった!ピンポン押しちゃったけど、誰か出る前に引き返したい、帰りたい!と、逃げ出くなってきました。

そうこうしているとお坊さんが出てこられましたが、拍子抜けなほど、親戚のように迎えてくれました。

 夕方までしばし善光寺観光。善光寺の職員の方々は皆様ハキハキしていてとても親切。ここを愛し、ここで働くことが心から誇りなのだろうと感じ、とても印象に残りました。

 夜は広間で精進料理をいただきました。お腹いっぱい、とてもおいしかったです。お隣はイギリス人の女性グループで、明日は森へトラッキングに行くから朝の法要などは参加せず、どちらかというとホテル感覚で満喫しているようでした。

 私達は法要に参加しました。朝4時半に集合。宿坊の方が善光寺内を案内してくださいました。早朝のお寺。広々とした長野のきれいな空気。山に囲まれた自然の中の大きなお寺。そのような環境で早朝の散歩をするのは生まれて初めてですが、なんともいえない早朝の清々しさが漂います。

お数珠頂戴

 そろそろお朝時中の、お数珠頂戴という儀式が始まる時間です。

法要の先導を務める住職さまが参道を真っ直ぐとゆっくり入場していらっしゃる脇に、信徒がひざまずきます。その頭をお数珠で撫でて功徳を授けてくださるもの。

夫は一応カトリックなので、そのことが失礼に当るのではないかと心配していましたが、こちらの善光寺は昔から、どんな宗教にもにこだわらず、ここへ来た皆を受け入れる姿勢だから、大丈夫なのだそうです。

 さてお数珠頂戴。正直よくわからないまま、何となく経験として参加しました。ですがいざ住職さまがお数珠で頭をふわっと撫でてくださった瞬間、慈愛のような、有り難い何かを感じました。

それは早起きをしてここまで来てこれをやった!という自己満足の達成感がそうさせるだけの、いわゆる“気のせい”だろうとは思いつつも、不思議な温かさが湧き上がってきたのは確かです。

他の方々はといえば、体の不自由な方が治したくて祈りに来ていたり、ご病気の方など、地方のお寺のお坊さん、毎朝ウォーキング途中に参加している元気かあちゃんなど、さまざまな方が見えていました。ご病気の方々は、来るだけでも大変だったと思います。

みなさんの晴れ晴れとしたお顔を見ると、祈ってもらって治るかどうかというよりも、頑張ってここへ来て清々しい気持ちになれた自分の心そのものが、有り難いものの本質なのかもしれないと、なんとなく思いました。

 その後は本堂に上がり、法要が始まります。女子大生グループやバスハイクの団体さんなど、観光客も参加していました。またバックパッカーのヒッピー風の欧米人が、ヨガのポーズで瞑想を始めたり、おもいおもいに自由なスタイルで臨んでいるようでした。お寺の方々から、何一つ作法のような堅苦しいことは言われませんでした。

 そんな中私達の泊まった宿坊の特等席が、最前列のど真ん中。住職さまのすぐ真後ろに陣取ることになりました。

すぐ目の前にいるたくさんのお坊さんのよく通るお経が、四方から頭の奥に直接響き伝わる感覚がありました。
言葉で表すことは難しいですが、夫が日本を感じたいと言っていたとおり、まさに体で感じることができたと思います。

 お朝時をやり遂げた後、朝ごはんの精進料理は、格別のおいしさでした。

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